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大阪学『フィールドワーク』 イベント

6月3日(金)の「大阪学」は、「四條畷の戦い」で敗死した楠木正行(まさつら)と和田賢秀(けんしゅう)の御墓所と、 四條畷市立歴史民俗資料館をフィールドワークしました。
  四條畷の戦いは、南北朝時代の正平3年(1348年)、亡父楠木正成の遺志を継いだ楠木正行が、南朝側の棟梁として、 北朝(足利)側の高師直(こうのもろなお)軍と、四條畷(四條縄手)の地で戦った合戦を言い、その決戦の前に、後醍醐天皇に詠んだ歌 「とても世に 永らうべくもあらう身も 仮のちぎり いかで結ばん」は、明治維新の尊王思想である「忠君愛国」の模範とされ、 父正成が「大楠公」として神格化されたのに伴い「小楠公(しょうなんこう)」として崇められ、四條畷市雁屋南町に御墓所が創建されました。
  また、和田賢秀は、正行とは従兄弟同士で、同じく合戦に臨み、討死の際に、敵将の首に噛み付き睨んで離さず、この逸話がもとで四條畷の人々は、 賢秀を「歯噛(神)さん」として祀り、現在も四條畷市塚脇の御墓所は、「歯の神様」として敬神されています。
 フィールドワークでは、まず学園から一番近い小楠公御墓所を訪れ、入口の右手に「忠」、左手に「孝」を刻んだ石柱を確認し、正行の供養に植えられた 樹齢約600年のクスノキの前で、校歌にもある若楠=生徒たちは記念撮影を行い、その後和田賢秀御墓所に移動し、入口の右手の石柱は正行と同じ「忠」に対し、 左手の石柱には「歯噛(神)さん」の名のように「烈」が刻まれていることを確認しました。
  また、最後に訪れた四條畷市立歴史民俗資料館では、野島稔館長による案内で、大阪府指定有形文化財を中心に見学し、田原城主の菩提寺である千光寺跡(四條畷市田原) から出土した中国製青磁袴腰香炉には、四千万円の評価がつき、同じく出土したキリシタン墓碑も、極めて歴史的価値があるという説明もあり、生徒たちは興味深く見学していました。

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